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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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十五夜満月 ~ 六か月継続 ~ 素数遊び

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本日は、満月にして旧暦の十五夜で、これは先月に同じ( 2019/3/21())。暦のページで検索したところ、今年は3月から8月まで十五夜と満月の日が重なるらしいと判った。半年に亘るのだから、両者の重なりは少なくとも今年に限っては珍しくもないのだ。一旦重なれば暫くは続くということのようだ。
 
また、今日は、西暦7桁日付 2019419 が素数であるので、少し数字遊びをしてみよう。
 
月日の419 も素数であるので累桁法での素数出現の様子を見れば次のようになる。( )内は桁数:
 

(3)419, (4)4019,(10)4000000019, (12)400000000019, (20)40000000000000000019, (28), (以下略記)

 

(6)410009,(14)41000000000009, (20)41000000000000000009,

 

(5, 6, 11,13, 14, )419…9,

 
基本形4-1-9から派生させた3形 40…19, 410…9, 419…9 のうち410…9 での素数頻度の低いのは、今までに見られた一般的傾向である。
 
素数とならない累桁数の素因数分解結果には、次のように周期性の見られることもある:
 

 (4) 4199=13x17x19,(7) 4199999=41x89x1151, (8) 41999999=47x167x5351,(9)=109x3853211, (10)=13x13x53x61x7687,(12)=41x41x249851279,

(15)=131x557x…, (16)=13x…, (17)=41x59x…,

 
周期的素因数以外の素因数を一つの数にまとめると一層周期性が明瞭になる場合がある。
 
このようなことから何か統一的な法則をまとめる根気の無いのが我ながら物足りないところだ。

素数ものさし ~ 測長用副尺? ~ 対数尺

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本日、西暦8桁日付 20190421が素数である由緒正しい素数日であることに免じて、またまた素数の話題をお許しいただこう:
 
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 あえて不便楽しさ生む


京大特定教授 川上浩司さん発明品で醍醐味広める

2019/4/21付 日本経済新聞 朝刊
235711――。数字の目盛りを間引き、素数だけを表示した「素数ものさし」。2013年に京都大土産として学内の売店で発売され、数万本を売り上げる大ヒット商品となった。長さを測るには計算が必要で手間がかかるが、パズルのような楽しさを味わえるのが人気という ~ 
川上浩司さん(54)。「不便だからこそ得られる益、メリットがある」が持論で携帯電話も持たず、えんぴ…》
 

素数ものさしについては前に取り上げた(素数鉛筆素数分布~6n+1 6n-1  2018/12/7())。その時は、単に珍しい、面白そうなアイディア商品としか受け止めなかった。今日の上記記事によれば、《計算が必要で手間がかかるが》長さを測ることは出来るという。

 
計算すれば長さを求められるということだが、具体的にはどのような方法なのだろうか、気になる。画像を見ると、素数目盛りの対縁に何やら副尺らしき目盛りが刻んであるのが分かる。通常の均一目盛りではない。
 
ところで、この素数目盛りには、画像で見る限り、2357111317までしか素数の表示が無い。少々物足りなくはないか。対数目盛上に素数を刻んだらどうなるか。
 
ヒマな時に考えてみよう。

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平成最後の ~ 和暦素数日 ~ 有終の美

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“平成最後”モノの一つ、今日は平成最後の和暦6桁素数日: 310423
 

月日の(3)423は素数ではないが、因数分解すると 3 x 3 x 47となり、これを数字だけ単純に並べると (4) 3347である。これは素数である。「3」を増減した (3) 347(5) 33347も素数である。()内はその後の数の桁数を示す。

 
という訳で、平成最後の和暦素数日として、有終の美を飾ることが出来た。
 
ちなみに、33347 の「3」を累増した場合の次の素数は (8)33333347,(11)33333333347, (13)3333333333347,(19)3333333333333333347 と続く。素数出現頻度としてはかなり高い方だが、この後、更に「3」を累増するとどうなるかは、当然ながら予想が付かない。

高校三年生 ~ メロディー交換 ~ リンゴの唄

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某施設での歌う会でのこと、司会者が「高校三年生」を歌いましょうと宣し、歌詞集○○ページにありますと告げた。伴奏のピアニストもそのページを見る。楽譜は無い。
 
勢いよくピアノから流れだしたメロディーは何と「リンゴの唄」であった。驚いたことに、参会者の多数がそれに合わせて歌い始めたではないか。「リンゴの唄」のメロディーに合わせて“あかいゆうひが こうしゃをそめて ~”と歌い、さすがにザワザワし出して立ち消えとなった。
 
ピアニストが「高校三年生」を知らなかった訳ではない。言い訳は≪歌詞を見て弾いているから≫ということで、“赤いりんごに”と“赤い夕陽が”の共通の出だし“赤い”に引っ張られたという告白だ。実は数曲前に「リンゴの唄」を元気よく歌っていたのだが、それについての言及は無かった。
 
どちらの歌詞も、七・七調で、メロディーを取り換えても支障無く歌えるということも幸いした?
 
歌詞に惑わされて曲を取り違えることはママある。歌謡曲の「丘を越えて」を予定していたところ、掲示された歌詞が“丘を越え行こうよ 口笛ふきつつ ~”すなわち「ピクニック」だったということが、つい最近、別の会場であった。
 
“われはうみのこ ~”とあれば、文字通り「われは海の子」を思い浮かべるか、それとも「琵琶湖周航の歌」か。
 
類例を収集するのも一興か。

粗相/麁相 そそう ~ 良い意味 ~ 幽霊 ゆうれい

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思文閣出版のPR誌「鴨東通信」No.1082018/4・春夏)に、日本語の知識(教養?)を豊かにしてくれそうな話題が二つ載っていた。
 
日常語のなかの歴史21 ≪そそう【粗相/麁相】(朴廷)≫
 
【麁相】は初見だ。ソソウと仮名でも降られていなければ読めもしない。【粗相】の元字だそうだ。【粗相】の表記は明治以降一般的になったもので、“粗相のないように”など、否定的意味合いでしか使わない。
 
ところが、もともとは、肯定的な意味でも使われていたという。つまり、肯定、否定両様に使うことのできる言葉だった。「そそうに(なるように)」と茶書でつかわれたそうだ。
 

【麁】の字体は元来(鹿を三つ)で、その原義は、(鹿は羊のように群れないことから)“遠く離れる”ことだという。余裕があるという意味で、良い語感に繋がるのだろうか。

 

ところで、鹿の対比で羊が記されているが、≪羊が三つ≫の漢字は≪なまぐさい≫の意味しか無いらしい。比較的によく見掛けるのが≪牛が三つ≫ので、こちらは≪ひしめく≫のいみだから、鹿の対比先として適当なのではないだろうか。

 
エッセイ ≪彷徨わない幽霊(小山聡子)≫
 
平安時代から鎌倉時代にかけての大歌人藤原定家は、日記「明月記」の中で、その父でやはり大歌人であった俊成の臨終の様子を詳細に記している:
 
俊成は死の近いことを覚り、極楽往生を願って、抱き起してもらった上で念仏を唱え、「安穏」に息を引き取った
 
その二十年余の後、定家は俊成の忌日法要を行い、「幽霊」は最後の夜半に(お経を)暗誦して亡くなったと述懐した。「幽霊」とは俊成のことである。故人ではあるが、実体のある人物を指して「幽霊」と呼んでいる。
 
従来、「幽霊」なる語は世阿弥以前にはほとんど使われなかったと説明されてきた。しかし、それは文学作品に限られたことで、古記録、古文書には「幽霊」が多数出てくる。また、それは成仏できなかった死霊の身を指すわけではなく、故人そのものを指すこともあった。
 
“幽霊は良い人だった”などと幽霊を称賛する古文書もしばしば目にされる。
 
“彷徨わない幽霊”の事例は古代から中世にかけて珍しくはないことがわかった、とのことである。
 
ところで、“彷徨わない”の読み方に迷ってしまった。“さまよわない”だろうとは推測したが、あまり自信は無かった。“さすらわない”の可能性もあると思った。こちらは漢字を使うならば、“流離、漂泊”がしっくりするようだ。
 
要するに慣用の問題だろうが、“さまよう”には目的地、お目当てを見付けられない様子が想像され、“さすらう”には、目的、当てもなくの感じがありそうだ。漢字の原義もそうなのか、漢字大辞典にあたってみよう。

平成最後の ~ 素数日遊び ~ 令和最初の

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新聞は“平成最後の~”、“平成回顧”などの記事で埋め尽くされたような印象だ。あやかって、平成最後の素数遊びをしてみよう。と思ったのだが、今日は、西暦、皇紀、和暦とどう足掻いても素数日にはなりえない4月30日だ。
 
ならば発想の転換だとばかり、年・月・日の順番を入れ替えてみた。アメリカ流では、月・日・年の順で 4/30/2019 のように記す事が普通に行われるのだから、荒唐無稽と笑われることもないだろう。幸先良く、 4302019は素数であった。
 

年を4桁でなく、略式に下2桁の19 で表記した 43019 も素数になる。

 
この方式ならば、偶数日であっても期待を込めて素数判定に掛けることが出来る。ただし、言うまでもなく、今年が西暦2019年であるからであり、来2020年はまるまる1年間使えない。
 
ヨーロッパ式に日・月・年の順の表記だとどうか。判定の結果は、30042019 3042019 も、素数ではなかった。年を下2桁としても、素数にはならない。
 

月・日表示の430 のままではあまり遊びようが無いので、末尾の 0 を落とすと、43 は素数だ。「0」累桁を試すと、(4)4003(8)40000003(11)40000000003と素数が現れる。その先は分らない。

 
平成最後の4月の次、明日からは令和最初の5月になるので、先走って和暦の素数日を調べようと思うのだが、慣例(法令?)によれば、元号最初の年は元年と称し、1年とは言わない。これでは数字遊びが出来ないので、慣例(法令?)を破って1年でもよいことにしよう。
 
明5月1日は、和暦5桁表示 10501、和暦3桁表示 151が素数になる。変則4桁の 1051も素数。変則4桁でも150119x79 と因数分解され、素数ではない。

令和元年 ~ 令和元月 ~ 令和元日

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今日はまた「令和元年」で埋め尽くされたような新聞紙面だ。令和の最初の年だから「令和元年」と称するのだとすれば、令和最初の日は「令和元日」でよい理屈だ。ただし、「元日」は1月1日の雅称で定着しているから困る。「元月」は1月のことだが、「令和元月」もまずいだろう。
 
しかし、国民および皇族が祝っている状況に鑑み、また、歴史上唯一の機会でもあり、この際特例として、元号+元日(元月)の使用例を残すことにしよう。
 
さて、「令和元日」だと数字ではないから遊べない。やはり暦の表記に戻して、従来通りの数字遊びに興じるとしよう。先ずは素数日:
 
20195月 素数日
 
西暦8桁 20190523, 20190529,
7桁 2019503,
6桁 201953,
 
皇紀8桁 26790503, 26790509
7桁 2679511
6桁 267959
 
和暦5桁 10501(0」累桁で3,5,9,11,17,55各桁でも), 10513, 10529,
     10531 
  4桁 1511, 1523, 1531 
  3桁 151, 157
 
本5月1日については昨日特記した。またまた先走るが、6月1日も和暦510601、同4桁 1601 で素数となる。
 
少し逸れて、5月に因み、数字列「56789」を遊んでみよう。この数は109×521 と因数分解される。先頭に「123」「234」「567」を付加した「12356789」「23456789」「56756789」は素数となる。
 
というわけで、連続する自然数列も意外に素数遊びが出来る。
 
56756789」に「」9累桁を施すと、次のように素数が出現する:
 
(8)56756789,(12)567567899999,(13)5675678999999,(14)56756789999999,
(20)56756789999999999999,(31)5675678999999999999999999999999,

(32)56756789999999999999999999999999,

(46)5675678999999999999999999999999999999999999999,,,,( )内は桁数。



 
連続する二つ、或いは三つの桁で素数を生ずることは、10桁程度までなら珍しくないが、高次の桁では急激に減少する。この例のように13,14、更に31,32と現れるのは、経験の範囲では稀有の例である。

改元コンサート ~ 五月の早春賦 ~ アムール河の波

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改元騒ぎの両日は慈雨に恵まれ、目出度く世が収まる吉兆だろう。今世紀に入ってからの4月30日、5月1日の気象記録を概観すると、30日は晴れることが多く、1日は晴雨拮抗するようで、両日多量の降雨となることは珍しいようようにみえる。
 
昨2日は、当方も“令和最初の”コンサートに参加した。老人相手のデイケアセンターでのチャチなコンサートではあるが。
 
出演者側は指揮者、ピアニスト、チェリスト各1を含めて約二十名(男3名)、お客さんは施設のスタッフ若干名を含めて三十余名であった。約45分のプログラムは次の通り:
 

    1.早春賦           

    2.春へのあこがれ         

    3.春の日の花と輝く         

    4.三つのわらべうた(ずいずいずっころばし・通りゃんせ・あんたがたどこさ)

    . アムール河の波           

    6.星影のワルツ 

    .いい日旅立ち

    8.野薔薇(ソロ)   (山田耕作)     

    9.ビビディ・バビディ・ブ
 

先頭の2曲には、選曲の季節センスを疑う。早々に異議を申し立てたが、準備の手戻りを嫌ううえ、責任者の面子の問題もあり、そのまま強行された。季節に拘らなければ、曲自体は人気の高さから特段の問題は無い。後半の6.星影のワルツ9.ビビディ・バビディ・ブも態々合唱団が出前するほどのものかと疑問に思われたが、お客さんには喜ばれるのだとか。

 

出前の目玉は. アムール河の波であった。混声二部(部分的に三~四部)で、やや簡略にした編曲ながら、この合唱団にとっては大曲で、練習にはほぼ2カ月を要した。お客さんには鑑賞に集中して頂きたいとの狙いから、歌詞カードには記載されなかった。

 
先週土曜日に別の施設で初演しており、その際は声部間のタイミングの乱れを心配させたが、今回は上々の出来であった。お客さんの反応も確かだった。盛大な拍手だけでなく、賛嘆の声も上がった。気を引き締めて腹筋も引き締めて歌った甲斐があった。会場に籠った熱気でたっぷりと汗を掻いた。

合唱曲「モルダウ(の流れ)」~ 歌の無い国歌 ~ 反戦歌

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合唱曲「モルダウ(の流れ)」は、スメタナ作曲の6曲から成る交響詩≪わが祖国≫の第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」を基に、日本語の創作歌詞を載せたもので、数種類の歌詞・編曲があると理解している。
 
原曲は管弦楽曲であり、声楽曲ではない。
 
然るに、≪チェコの「第2の国歌」とも言える~≫というように紹介されることがある(music pal その他のサイト)。歌の無い国歌もあり得るのかと気になる。
 
式典進行に於いて、“国歌演奏(吹奏)”と厳かに宣されることがある。歌抜きの器楽演奏であるが、国家のメロディーを奏でるのだから特段違和感は無い。
 
歌詞を定めず、メロディーだけで国歌扱いとすることもありそうに思える。実際のところは判らない。
 
そこで、ネット上の辞書で検索したところ:
 
こっ‐かコク‥【国歌】〘名〙
(わが国古来の歌の意) 和歌のこと。やまとうた。
※五山堂詩話(180716)二「始作レ詩、今遁而帰二国歌一」
その国を象徴するものとして制定され、または慣用されて、主に式典用に演奏される歌曲または器楽曲
 
というのが見付かった(精選版日本国語大辞典の解説)。
 
想像したように、器楽曲でも国歌たり得ることになる。
 

「モルダウ(の流れ)」はチェコの第二国歌と記しても差し支えないようだ。ドイツ語で歌われる反戦歌"Das Lied von derMoldau"(モルダウ川の歌)があるが、ご当地チェコでは“Vltava”(ヴルタヴァ)の歌詞は無いのだろうか。

自動車事故続発 ~ 入院不逮捕 ~ 現行犯逮捕

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このところ自動車事故が連続していて目立つように思うが、気の所為だろうか。
 
どうも、池袋での所謂「上級国民」による母子等殺傷事故いらい、神経過敏になっているのかも知れない。被害母子と家族の方々が特にお気の毒に思われる一方、報道による限り、加害者たる「上級国民」(この呼称が適切なのかどうか不明だが、便宜的に使用する)からの弔意、謝罪の言葉が聞こえてこない不誠実や、事故後入院して逮捕されていないことに感情が影響されている。
 
そこへ持ってきて、今日、大津市での≪信号待ちの列突然車が... 園児2人死亡 1人重体≫(関西テレビ)事故だ。
 
車2台の衝突のトバッチリで保育園児たちが災禍に遭ったとのことだが、運転していた2名の女性は直ちに逮捕され、容疑者と呼ばれている。報道では「女」と蔑称される。両者とも負傷していないので逮捕されたという逆説的な印象だ。負傷していないのは、無茶なスピードではなかったことを思わせる。
 
≪逮捕の女2人は泣き崩れ…園児の列に車突っ込み死亡≫(All NipponNewsNetwork(ANN)

池袋の事故では、「上級国民」は冷静に、直ちに保身措置を指示し、あるいは講じたという。
 
大津事故の加害者は、負傷を幸いに(あるいは装って)入院するという機転も利かず、平凡な市民たる両人に降りかかった突然の不幸のようにも思われる。
 
警察の対応が「上級国民」と庶民とでは、かくも落差があるとの感を強くするのだが、咄嗟の際の対応能力の差と言うべきか。単細胞的な反応と軽蔑されるかな。

首相失言 ~ 隠蔽 ~ 暴露

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《「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言
AERA
5/15(
) 17:00配信        
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4月に行われた「退位礼正殿の儀」歴史的な儀式での、安倍首相の失言が世間を騒がせた~
 

430日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾だ。

「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」~  ※AERA 2019520日号

 
新聞は毎日欠かさず朝夕刊を見る。さっと眺め渡す程度だが、主なニュースは漏らさず目に入っているはずだ。
 
しかし、上記ウェブニュースの報じる出来事は2週間も前のことなのに、新聞で読んだ記憶が無い。TVは見る習慣が無いから、関連の報道があったかどうか判らないが、恐らく話題にはならなかったのだろう。
 
いわゆるメディアの政府に対する忖度の浸透、定着ぶりを象徴している。批判精神を失い、政府の提灯持ちになり下がったメディアに包囲されたような気分だ。改元の奉祝騒ぎもむべなるかな。
 
ところで、首相が失言したのは、朗読原稿に「已みません」とあるところ、漢字「已」の読み方を知らなかったことによると推測されるが、上記記事によれば、《文書として公表された「国民代表の辞」には当然、「願ってやみません」とある》そうだ。
 
首相朗読文書の原本とメディア配布コピーとが異なるとすると、これも重大な危険をはらむ。メディアの覚醒、自覚が望まれる。
 
「已」は普段使い慣れない漢字ではある。紛らわしい漢字に己」「巳」がある。これら3字の使い分けは中学時代に教わった。もちろん戦後の新制中学だ。
 
今でも呪文のように口をついて出る:
 
《みはうえに、おのれつちのとしたにつき、すでにやむのみなかほどにつく》
 
首相をウィキペディアで参照すると、大学を卒業しており、アメリカに留学をしてもいるとのことである。小生よりは若いようだから、受けた国語教育の中身は違うかもしれない。

それにしても、記事中“安倍首相の失言が世間を騒がせた”とあるのは、失言をメディアが報じなかったの小生の認識とは相容れない。どうなっているのだろう。

フォーク「ひとつ」 ~ 共鳴 ~ 童謡「フタアツ」

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昨日、某施設の年寄りの歌う会で講師のソプラノさんが「ひとつ」という歌を披露した。当方の全く知らない歌であったが講師は好い歌だと強調していた。確かに、年寄りの耳に馴染み易いメロディーと歌詞であった。
 
帰宅してネット検索したところ、高橋晴美作詞作曲と判った。
歌詞を掲載するサイト(http://piano717.blog90.fc2.com/blog-entry-4111.html)からコピペ:
 

空と海がとけてひとつ
あなたの心にとけて生きる
空に星がとけてひとつ
あなたの人生にとけて生きる
   
あなたの部屋に野の花ひとつ
いつもやすらぎをとどけてあげたい
あなたのために何かひとつ
今日も新しく生まれかわりたい

人と人がとけてひとつ
今日もしあわせ感じあいたい
国と国がとけてひとつ
その日を信じて今日も生きる
           
人と人がとけてひとつ
今日もしあわせ感じあいたい

 
前段・中段の文意は不明だが、後段から判断すれば、平和祈念の歌かと思われる。
 
この歌を聴きながら既視感に襲われた。数時間の後、数年前に話題にした古い童謡を思い出した:
 
フタアツ(まど・みちを作歌・山口保治作曲)
 
 

ふたあつ ふたあつ なんでしょね
    お目目がいちに ふたつでしょ
    お耳もほらね ふたつでしょ
  
    ふたあつ ふたあつ まだあって
    お手手がいちに ふたつでしょ
    あんよもほらね ふたつでしょ
  
    まだまだいいもの なんでしょか
    まあるいあれよ かあさんの
    おっぱいほらね ふたつでしょ

 
両方の歌詞に共通するところは無いが、“ひとつ”と“ふたあつ”が共鳴したようだ。

素数物語 ~ ガウスの時計 ~ おじいさんの時計

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中村滋「素数物語 アイディアの饗宴」(岩波2019/3/14)を間も無く読み終えるところまで来た。版元の内容紹介は次の通り:

 
≪すべての数は素数からできている。その性質を深く調べてみると、円周率π、虚数iなどの高級な数学と結びつく不思議で魅力的な数でもある。フェルマー、オイラー、ガウスなど数学史の巨人たちがその秘密の解明にどれだけ情熱を傾けたか。彼らの足跡をたどりながら、素数の発見から「素数定理」の発見までの驚きの発想を語り尽くす。≫ 
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数学的な事項もさることながら、“数学史の巨人たち”の事蹟、特に彼らの天才ぶりには、毎度感嘆するばかりだ。既に読み知っていても、文字通り桁外れの能力には思わず興奮してしまう。
 
例えば、当方など凡人にも解り易いところでは、オイラー(Leonhard Euler)は≪60歳で両眼の視力を失った後でも、暗算で複雑な級数の17項もの和を小数点以下50桁まで正確に計算できた≫とか、≪そのオイラーでさえ数か月かかった彗星の軌道計算をガウス(Johann Carl Friedrich Gauss)は3日で済ませた≫などと聞くと、神の領域としか思えない。
 
ガウスの天才ぶりは諸本に詳しいことだろうから冗説の愚を避け、気に入ったエピソードを一、二記しておこう。
 
ガウスが1855年2月23日未明77歳で静かに無くなったとき、彼が長年肌身離さず持ち歩き、決して巻くことを忘れなかった懐中時計も主人の死を追うかのように止まったそうだ。
 
そこで思い出すのは童謡「おじいさんの時計」(My Grandfather's Clock, 1876)である。
 

My grandfather's clock was too large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor.
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a penny weight more.
It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.

 
おじいさんの時計が止まったのは、たまたま動力源のゼンマイが緩み切ったからだという可能性を今回教わった次第だ。
 
手巻き式の時計ならばゼンマイが緩んだりして止まるのは当たり前だが、持ち主の死とともに時を刻まなくなるという話は神秘性を帯びるから、昔から好まれる素材なのかな。

富士山登山鉄道構想 ~ 箱根八里 ~ フニクリ・フニクラ

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今日の朝日新聞夕刊の1面トップに『100年の夢走る?富士山登山鉄道』の大見出し。色刷りで挿絵と写真を添え、“構想、浮かんでは消え・・・山梨県が勉強会”“5合目まで 有料道路に線路案”“頂上へケーブル 過去に計画”の小見出しを付すなど、目を惹く記事だ。

 
登山電車と言えば直ぐに「フニクリ・フニクラ」を思い浮かべる。また、電車ではないが登山絡みで「箱根八里」も連想される。
 
某合唱グループの例会や発表会の素材としてこの両歌を候補にしてはどうかと考えた時、連想が膨らんで、両者には何がしかの関係が有るのではないかと想像を逞しくした。
 
「フニクリ・フニクラ」の発表(Funiculì funiculà)は1880年で(ウィキペディア)、「箱根八里」は1901年である。
 
一旦その思いを抱くと以後の思考もそれに影響されるのか、「箱根八里」の曲調が「フニクリ・フニクラ」に似ているように感じられてならない。
 
瀧廉太郎は“Funiculì funiculà”に接していただろうか。
 
蛇足ながら、“富士登山ケーブルカー”に関連して、当方の別ブログ(http://baobab.seesaa.net/)に6年前、2度雑文を載せている(富士山~登山鉄道~構想公然化 20130701日本植物園協会會報~富士山ケーブルカー~国立植物園 20130203)。

素数遊び~メルセンヌ素数 2n − 1~?素数3n+2 、3n-2

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本日の日付けが西暦8桁表示20190523、和暦4桁表示1523で、それぞれ素数であるという由緒正しき日であるので、素数遊びをしたい。
 
素数の一タイプにメルセンヌ素数2n− 1nは自然数)がある。小さい方から例示すれば次のようである:
 
221=3221=3
231=7231=7
251=31251=31
271=127271=127
2131=81912131=8191
2171=1310712171=131071
2191=5242872191=524287
2311=21474836472311=2147483647
2611=23058430092136939512611=2305843009213693951
 
なぜ2n 1なのかと考えても解らないが、無意味な形ではなさそうだと思わせるような特性がある:
 
例えば
 
2n 1が素数になるのはnが素数の場合に限る≫
≪メルセンヌ素数は完全数を与える≫
≪メルセンヌ素数は二進法表記で 111…1 となる≫
 
形だけ真似て 3n+2 3n-2 の素数生成状況を調べてみた:
 
n    3^n+2     3^n-2
 
0    3         -1
1    5          1
2    11         7
3    29         25
4    83         79
5    245        241
6    731        727
7    2189       2185
8   6563        6559
9    19685      19681
10  59051       59047
   11   177149    177145 
   12   531443    531439
   13   1594325   1594321 
   14  4782971    4782967
   15  14348909   14348905 
   16   43046723  43046719  
   17   129140165    129140161 
   18   387420491    387420487
   19   1162261469   1162261465
   20   3486784403   3486784399
   21   10460353205  10460353201
   22   31381059611  31381059607
   23   94143178829  94143178825
   24  282429536483   282429536479
   25   847288609445  847288609441
   26  2541865828331   2541865828327
   27   7625597484989  7625597484985
   28   22876792454963  22876792454959
   29   68630377364885  68630377364881
   30   205891132094651  205891132094647
   31   617673396283949  617673396283945
   32   1853020188851843  1853020188851839
   33   5559060566555525  5559060566555521
   34  
 
結構素数を生成するようだが、それで?と軽くいなされそうだ。

素数探索 ~ 1219512195 ~ AAP

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素数遊びで、“577”に「0」累桁法を施していたところ、次のようなデータを得た:
 

(3)577,(4)5077,(5)50077,(7)5000077,(9)500000077,(20)50000000000000000077, (28)5000000000000000000000000077,(30), 

                                 ( )内は生成した素数の桁数を示す。
 
例によって、取り留めの無いデータで先に進めないのだが、素数とならない桁の因数分解に面白い形の素数が現れた:
 
(16)5000000000000077 = 41 ×(15)121951219512197,
 

大きい15桁の素因数121951219512197 12195 12195 121973個の5桁コンポーネントから成ることは一目瞭然である。末尾のコンポ12197が素数であることは直ぐに確かめられる。

 
素数121951219512197 を便宜上AAP と表記することにしよう(A=12195, P=12197)
 
素数Pに「A」累桁法を施してみた: 

   (1)P, (2)AP, (3)AAP, (4)AAAP, (10), (36), (AA」累桁により42),,,,, 


APとがそっくりの数であることが最初から興味を惹いたが、その意味するところは不明だ。単なる偶然かも知れない。A=1219512195 が循環小数の循環節の例として登場していることにも興味が湧く。
 
コンポーネントA 3 の倍数でない数として、任意の素数P について「A」累桁法を施す遊びは当分楽しめそうだ。

美しく青きドナウ ~ 縮約切り貼り ~ ドイツ語キセル

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202023月の発表会用の曲の一つに「美しく青きドナウ」"An der schönen    blauen Donau"を選定して何か月も経った。適当な楽譜を探索したが、なぜか手の届くところには発見できなかった。どこにでも有りそうな有名曲なのに。
 
諦めて、ピアノ練習曲集やヴァイオリン・ソロ用人気曲集に所収の楽譜から転用して間に合わせようかと思っていたが、メンバーのFさんが友人から三部合唱譜のコピーを入手してくれた。
 
そのまま演奏すれば10分ほど掛かりそうで、長過ぎるので、三分の一程度に縮めることにした。
 
また、当初はドイツ語原詩のまま利用する積りであったが、外に10曲ばかり練習しなければならないので時間的に余裕が無いと判断し、日本語訳詞を採用することにした。
 
往生際が悪いのだが、ドイツ語に拘り、冒頭と終曲部には原詩の一節を付することにした。
 
縮約したり、ドイツ語部分を付加したりするため、楽譜の切り貼りを要する訳で、接合部が円滑に繋がるようにしなければならない。これを、楽譜上で伴奏まで含めて確認する能力は無いので、ピアノ担当のMさんに丸投げした。
 
ソプラノにして、ピアノも能くするMさんは期待に応えて見事な解決案を示してくれた。
 
これで全11曲の楽譜が揃ったので、残り半年、しっかり練習しよう。
 
それにしてもヴォーカル・メンバー4人とは、寂しい限りだ。発表会の度に助っ人さんを募った頃は、正規メンバー3人だけということもあった。
 
公的施設の歌う会などには数十人のお年寄りが集まるのだが。

五月素数補遺 ~ 529擬周期11 ~ 循環節拡散

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本日は和暦4桁表示日付けで 1531 の素数日となる月末に因み、今月の素数遊び補遺として23項目残しておこう。
 

西暦8桁の正統派素数日20190523,20190529 の月日3523529 の間に、529 = 23 x 23の関係を見付けた。特段の意味も因果関係も無く、単に数字遊び上面白いだけだが。

 
素数ではない(3)529に「0」累桁法を施し、500…29の形の素数の出現を見たところ、(6)500029,(10)5000000029,(21)500000000000000000029,(26),(37),(70),,,となり、擬周期 11 を見出した。
 

生没日としては、与謝野晶子の没日 (7)1942529 が素数だが、(8)19420529 643×30203 と素因数分解される。その素因数(3)643 に「3」累桁法を施す過程で、(16)6433333333333333=7×919047619047619  を得た。素因数 919047619047619は先だって紹介した循環コンポーネントを含んでいる(素数探索~ 1219512195 ~ AAP 2019/5/27(月))。桁の区切り方は微妙だが、91 904761 904761 9とするのが妥当だろうか。循環コンポは 904761となる。

 
無限循環小数の例に倣えば、919 047619 047619  と区切りたいところだが、、、。
 

なお、3桁日付 523に「3」累桁法を施せば、素数 523…3(3,4,6,17,23,,,)を得るが、13桁合成数で(13)5233333333333=7×747619047619 と素因数分解を得た。この場合は、7 47619 0 47619 のように、循環の定義に合致しないと見做すか、これまた悩ましいことだ。


それにしても、919047619047619747619047619と、そっくりの循環節を持つ素数が見付かったのは、偶然か、必然か。




今月の素数日一覧 ~ 素数親和日 ~ 三つ子素数日

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20196月素数日
 
西暦8桁 2019060120190613
 
西暦7    2019613 2019623
 
西暦6桁  201961 
 
皇紀8桁  26790613 26790619 26790629
 
皇紀7桁  2679613 2679617 2679619 (三つ子素数)
 
皇紀6桁  267961 
 
和暦5桁  10601 10607 10613 10627                 
 

和暦4桁  16011607 1609 161316191621 1627 (三つ子素数)

 
和暦3      163 167                               
 
赤字で示したように、今日、朔日は素数に馴染み易い日らしい。その上を行くのが13日で、表記9通りのうち6通りで素数となっている。和暦で7日が543桁いずれにおいても素数となるのも目を惹く。
 
和暦の元年69日は4桁表記で1609 が素数である一方、5桁表記で10609=103x1033桁表記で169=13x13 のように平方数となる。
 
年号を除き月日だけの素数日を見れば、次の通り:
                                         

月日3  601 607 613 617619

 
月日2  61 67
 
ここでも朔日と7日が際立って素数親和的のように見える。朔日61 に「0」累桁法を施せば素数生成は次のようだ:
 

(2) 61, (3)601, (9)600000001, (10) 6000000001, (16)6000000000000001,

(21)600000000000000000001,(27),(39),(46),

 

解り易い擬周期 3赤字で示す。

 
同様に7日に0」累桁法を適用した結果は次のようで、20桁までは一日に類する傾向であるが、その後は出現率が著しく下がる。
 
(2)67,(3)607,(4)6007,(9)600000007,(10)6000000007,(20)60000000000000000007,
(59),,,

循環節のカラクリ ~ 下位循環 ~ 上位循環

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素数探索の過程で循環節を有する素因数について頭をひねってみたところだが、実は答えはそこに示されていた(五月素数補遺~ 529擬周期11 循環節拡散 2019/5/31(金))。
 

すなわち、(16)6433333333333333=7×919047619047619(13)5233333333333=7×747619047619を呈示しているのだから、鍵は分解される数の下位に連続する 3 の存在である。分解式の被乗数はどちらも 7 であるから、7x47619=333333に直ぐに気付かなければならない。

 

つまり、ある数の下位部分が 33…3 、上位部分が 7 の倍数であれば、因数分解で 47619 という循環節が得られるということだ。もう一つの例として、(15)119333333333333=7x17047619047619 

を挙げる。
 

以前に提示した循環節はどうだろうか素数探索1219512195 AAP 2019/5/27()

 
(16)5000000000000077 = 41 × (15)121951219512197,
 
循環節が素因数の下位部分でなく上位部分に位置するので、算出のスタイルは異なるが、原理は同じだろう。
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