昨日のボランティア・グループにはヴァイオリニストが3名いた。そのうち最も若くて最も上手と思われる人について、興味深い事実を見た。
彼女は、大概の曲は初見で弾けるし、他人の歌を1,2回聴くと、それに合せてメロディーを弾く事も出来る。これは、素人にとっては憧憬の才能だ。
ところが、山田耕筰の「砂山」をまともに弾けなかった。本人もそれを自覚している様子で、この曲は難しいと呟いていた。
楽譜を見ると、3♭のハ短調で、移動ド唱法派の当管理人にとっては比較的読み易い調である。そこで、お節介にもメロディーを口ずさんであげたら、直ぐに弾けるようになった。
これは実に不可解な出来事だ。単純に考えれば、彼女は目で楽譜を追うよりも、耳でメロディーを聞き覚える方が楽だということになる。しかし、かなり複雑な器楽曲をこなすレベルの彼女にとって、「砂山」のメロディーなど初見で完璧に弾ける筈なのだ。
この件について、彼女は一つのエピソードを語った。数年前に急な要請を受けて某病院へ歌の伴奏に出掛けたことがあった。その時に、この「砂山」を弾いたのだが、歌の人達と全く合わなかったというのだ。
彼女にはその理由がずっと解らないままであった。フラットが三つ付いたら読譜出来ないという話ではない。
この不思議な一件は、脳の認知回路に妙なチャンネルが形成されていた為であると言えば、何となく納得できるのだが、勿論これは表現を変えただけだから現象解明に近づいたわけではない。音楽的才能にまつわる面白い知見ではある。