毎度面白く、かつ、話の種を提供して下さる阿辻先生の日曜コラム≪遊遊漢字学≫、今日のお話は格別に味わいがあった:
「杞憂」の裏に敗者の屈辱阿辻哲次 2018/11/4付 日本経済新聞 朝刊
≪むかし杞(き)という国に、「もし大地がくずれ、天が落ちてきたらどうしよう」と毎日悩み、食べるものものどを通らず、やせ衰えた者がいた~この話から無用の取り越し苦労を、杞の国の人の心配ごとという意味で「杞憂」というようになった
さてこの主人公はいったいなぜ「杞」の国の人なのだろう?~
杞は、夏という王朝が滅亡したあとかなりのちに、夏の子孫を集めて作られた国だった。その夏を倒した殷も、末期に暴君が現れたので周に倒されたが、周は殷の子孫を皆殺しにはせず、宋というところに土地をあたえ、そこで祖先に対する祭りを継続させた~
殷の前の王朝であった夏の直系の子孫たちも土地をあたえられた。そこが「杞憂」の主人公の国だった~
杞や宋に暮らすかつての王族の子孫たちは~勝利者である周から嘲笑されながら、ほそぼそと祭りを続けるだけであった。
切り株にぶつかったウサギを手に入れてから、仕事もせず切り株の番をしていた「待ちぼうけ」の話は「宋の人に田を耕す者あり」という文ではじまる。笑い話の主人公は、笑われる土地の人でなければならなかった≫
「杞憂」の話は≪戦国時代の思想書『列子』(天瑞)に見える≫そうだが、「待ちぼうけ」もそうなのか。
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の滿洲唱歌「待ちぼうけ」が頭にあるから、満州の昔話かと思っていたのだが、検索してみると、≪中国の法家の思想書の一つ『韓非子五蠹(ごと)篇』の中にある説話「守株待兔(しゅしゅたいと)」から録られた≫らしい(ウィキペディア)。
白秋さんが育った頃は、中国の古典がよく読まれたか、学校で教えられたか、現代よりは一般によく知られていたのだろう。今では本家の故事成語「守株待兔(しゅしゅたいと)」より白秋の用語による「待ちぼうけ」の方が遥かに通りが良い。
歌の力は偉大なり。
ちょうどひと月前、某所の≪歌う会≫で「待ちぼうけ」を歌ったことを思い出した。