キリスト教とは縁もゆかりも無い身で、今月は何回かのクリスマスコンサートに出演する。お客さんも殆ど仏教徒兼神道信者の筈だ。言わずもがな、我国のクリスマスは、宗教に関係の無い娯楽である。一方にクリスマス便乗商法があり、他方にキリスト教音楽趣味がある。
所謂讃美歌には、心に沁みるものが多いのは事実である。だからこそ、布教の有力な手段として活用されてきたのだろう。信じようが信じまいが、讃美歌を聴いたり、歌ったりして厳粛な気分に浸ったり、俄か善人になったりするのも悪くはない。
「笛の友だち 第三集 二部合奏曲」(音楽シンキャウ社 昭和30年11月)という古い楽譜集を見ていたら、聞き覚えのあるメロディーがあった。
「聖なるかな」(シシリア民謡)となっている。ネット検索で、
“賛美歌108番 (O Sanctissima)
いざ歌え いざ祝え うれしきこの宵(よい)
神の御子(みこ) 現れぬ いざほめたたえよ
O du fröliche, o du selige,
gnadenbringende Weihnachtszeit!
Welt ging verloren,
Christ ward geboren:
Freue, freue dich o Christenheit!”と判った。
宗派によっては“讃美歌21 260 いざ歌え、いざ祝え O du fröhliche (ルカ2:10-11 マタ2:10)”などと表示したものもある。
面白いことに、ドイツ連邦共和国大使館・総領事館HPに次のような解説がある:
“「いざ歌え、いざ祝え・・・」1816年、ヨハネス・ダニエル・ファルク(1768-0826[1826の間違いと思われる。])は「いざ歌え、いざ祝え」の第1詩節を書きました。メロディーはシチリア島に伝わるマリア賛歌「いざ歌え」より受け継がれたものです。
ファルクはこの歌を自らが世話をしていた孤児たちに捧げ、彼らと共に歌いました。彼の助手ハインリッヒ・ホルツシューアー(1789-1847)が1829年に第2、第3詩節を書きました。”
同HPには、お馴染み「きよしこの夜」の簡潔な解説もある:
“歌詞は、助任司祭のヨーゼフ・モアーが1816年にオーストリアのザルツブルク郊外にあるルンガウ郡のマリアファーという村で書き上げ、アルンスドルフで学校の教師もしていたオルガニストのフランツ・クサヴア・グルーバーが1818年のクリスマス前にこの歌詞にメロディーを付けました。1818年12月24日、二人はザルツブルク郊外のオーバルンドルフという村にある聖ニコラウス教会でこの曲を初めて演奏しました。
しかし、この曲が有名になったのは、チロル地方のツィラータルという地域にあるフューゲンという村のオルガン造りのマイスター、マウラッハーが、チロルの音楽家たちとドイツのライプツィッヒでこのメロディーを演奏したことがきっかけでした。
「きよしこの夜」はドイツで大成功を収め、そのまま世界中に広まり、今日では、この曲は世界中で300を超える言語と方言に翻訳されています。”
「いざ歌え」の方が「きよしこの夜」よりも少し先輩なのだ。